半田晴久/深見東州 産経新聞連載第6回「受験校選択3」

先生のやる気をも伸ばす環境備えているか

 なぜ公立学校は受験に不向きなのか。

 

 最近の公立学校、特に高校における学力の低下は、はっきりとした傾向として現れています。それを裏付けているのが大学受験における合格者数。実際に、有名大学の合格者内訳でも私学の生徒が多くを占めてり、名門校だった公立校は凋落(ちょうらく)の一途をたどっています。

 

 公立校の地盤沈下は、受験に限らず、質にも現れており、校内暴カなどさまざまな間題が噴出しています。最近では、小中学校で学級崩壊が起こっているありさまです。

 

 それにしてもなぜ、そこまで公立学校の機能が低下してしまったのでしょうか。背景には、いろんな要素が絡んでいるのでしようが…。

 

 「受験だけが高校生活ではない、クラブ活動や人間として自由に考えたり、行動する高校生活があっていい」。このようなポリシーの学校もあります。

 

 しかし、このような学校に限って、「しっかり受験勉強をして、目標の志望校に合格したい」と思っている生徒に対して、学校側が必死で受験指導をしてくれるケースは、ほとんどありません。受験志向の生徒にとっては、何も応えてくれない自由放任の公立高校も多いのです。

 

 なぜなら、受験指導というのは、手間、暇、エネルギーを要し、神経を使うものなのです。

 

 前回の繰り返しになりますが、私は公立学校の機能低下の原因は、先生たちのサラリーマン化、もっと言えば、お役所仕事化に大きな原因があると考えています。

 

 その意味で、このほど文部科学省が、公立学校の先生を対象に能力別給与の査定を打ち出したことは、本当に良かったと思います。さらには、指導力のない先生の再教育や、民間人の校長先生化、そして、東京都の打ち出した都立高の自由競争化も、公立学校を活性化させるいい刺激になることでしょう。

 

 生徒のために、自主的に熱心にやってきた先生にとって、これらはどれほど大きな励みになることでしょうか。先生とて人間。励めば優れた先生になるし、怠ればマンネリ・サラリーマンのようになるのです。

 

 良い学校とは、子供の能力や才能を伸ばすだけではなく、先生のやる気や、教育者としての才能をも伸ばす環境を傭えた学校-と定義してもよいのではないか、と思うのです。

 

みすず学苑 半田晴久

2003年4月3日  産経新聞