半田晴久/深見東州 産経連載第24回「志望校の選択1」

「浪人時代」にも大きな意味

 受験生がいる家庭の話題も、どこを第一志望校にするか、の段階にきていると思います。受験競争では、誰もが志望校への合格を果たせるわけではありません。レベルの高い学校は、善戦むなしく、一敗地にまみれる受験生が大多数を占めているのが実情です。

 

 問題は・滑り止め校・の考え方です。

 

 失敗した場合の保険という考え方が定着していますが、受験校選択は、子供の将来がかかった重要なものです。親が「高校や大学に進んでくれればよい」という安易な考えで、子供に受験校を強いても、不登校や中途退学などで、子供を挫折に追い込むだけです。予備校でも、そのような実例を多くみています。

 

 親からのプレッシャーを感じる受験生は、滑り止め校をどうするか、その選択もこの時期、心の葛藤になっています。滑り止め校も選ぶべきか、夢一筋に、捲土重来を期して浪人するか、二者択一を迫られます。

 

 そんな進路の相談を受けたとき、本人がやる気に満ちている場合、私は例外なく、第一志望校一本に賭け、失敗したら浪人を選択するようにアドバイスしています。無論、予備校を運営しているから言うのではありません。受験競争の渦中にある受験生には、理解し難いかもしれませんが、浪人時代をすごすことは恥ではなく、その後の人生を考えるうえで、かけがえのない大きな意味を持っているからです。

 

 考えてみてください。

 

 大学受験の時期はいわば子供から大人への端境期で、昔の日本では兵役を迎える年代で、当時を振り返れば、肺炎、結核などの罹病、さらには両親との死別など大きな試練が待ち受けていたものでした。この試練に向き合うことで、人生に対する考察を深めて、大人の世界に脱皮していったのです。

 

 現代は若者が、深くものごとを考える機会はほとんど皆無に近い状況です。あえていえば、浪人時代が唯一それに近い存在といえるのではないでしょうか。

 

 受験生はもちろんのこと家族も、浪人など望んでいないのは当たり前です。あえて、この問題を取り上げたのは「入学のみが受験の目的であってはならない。夢や可能性を摘み取らないために、選択肢に浪人も入れてよい」と言いたいのです。

 

 

みすず学苑 半田晴久

2003年8月7日  産経新聞