半田晴久/深見東州 産経連載第31回「予備校の意義」

受験のためのみならず補習機関として

 授業後に学校から直行し、夜まで塾や予備校で勉強をする子供が少なくありません。その一面だけをとらえて「なぜ、そこまで勉強させる必要があるのか」とか「子供が気の毒」と、眉をひそめる人がいます。

 

 実のところは、ほとんどの子供が喜々として塾や予備校に通っているのです。理由は明快。塾・予備校には、学校で体験できない勉強の面白さや魅力があるのです。子供たちの姿がなによりの証しです。

 

 勉強に苦痛を感じる子は、親が勉強の必要を説き、塾や予備校を勧めても、拒絶反応しか返ってきません。馬を水辺に連れて行っても、水を飲みたくない馬は絶対に飲まないのと同じです。無理強いは逆効果となるだけでしょう。

 

 でも、塾や予備校に通う子供には、そこが楽しい場所の一つになっています。

 善しあしの議論は別にして、背景に、学歴社会の影が残っていることもあります。その現実を親も子供もよく理解しているからこそ、少子化が進む中で、一流大学に受験者が殺到するのです。

 

 課題は、難関を突破する力の付け方です。受験に必要な絶対学習量と技術を効果的に養う方策の一つに、中学・高校の一貫教育制度を採用する私立学校では、本来は六年間で行うべき授業を五年で終了させ、残る一年を受験勉強に充てているのです。

 

 残念ながら、公立学校の場合はそうはいきません。細かく定められた文科省のカリキュラムの指示に従い、一学級約四十人の子供全員に理解させる授業を進めなければなりません。

 

 その制約の中で、実効を上げるには、理解力が平均よりやや低めの子供に標準を合わせた授業を行わざるを得ず、結果的に成績上位の子供は物足りなさを感じ、下位の子供は取り残されていきます。

 

 塾や予備校は、単に受験目的だけでなく、そのような子供が多く通ってきます。成績が上がることの意義、勉強の楽しさが分かっている子供たちは、理解しやすくて高い水準の授業を受けたいと願っており、一対一で個別指導する塾が繁盛しているのもその一例でしょう。

 

 予備校が受験に必要な能力を鍛える教育機関であると同時に、子供たちにとっても、補習機関としての塾や予備校は不可欠な存在です。

 

 

みすず学苑 半田晴久

2003年9月25日  産経新聞