半田晴久(深見東州) in パース 1999年10月

パースでの書画展

1997年に六本木で行われた「深見東州初の書画展」。そして、1999年の夏に行われた「真夏の夜の書画展」と「BESETO美術祭・東京展」。そうした、書画の足跡の進展を経て、ついに、半田晴久(深見東州)の作品が海外の書画展で展示されることになりました。

 

 1999年10月。今回の書画展の会場となったのは、オーストラリア唯一のカトリック系大学であるノートルダム大学内のホール。ホールの入り口には、深見東州先生の書「紅炉一点雪」が掛けられており、多くの人が、入場する前からその書に見入っていました。

 

 そして、その入り口を入って会場を見回すと、一見普通の絵画のように見える作品がたくさん展示されているのです。これは、カリグラフィー(calligraphy )と言って、日本の書道の西洋版。つまり、日本では筆を使って文字を書く(Japanese calligraphyと呼びます)のに対し、西洋のそれは、アルファベットの文字を、色を使って美しくデザインするという芸術なのです。

半田晴久深見東州
作品の説明をする半田晴久

 そうしたカリグラフィー作品が並ぶなか、半田晴久(深見東州)の書は異彩を放ち、オーストラリアの人たち、とりわけ、カリグラフィー作品を出展していた芸術家たちに、新鮮な驚きと感動を与えました。特に、「幽玄」や「銀河」などの作品は、大きなサイズの紙に、大変ダイナミックに書かれており、何人もの人たちがその前で立ち止まって、じっと見入っていました。

半田晴久深見東州
半田晴久作品「菅平龍」と「超古代龍」

  そのほか、絵と書を合体させた「菅平龍」と「超古代龍」も、カリグラフィーに通じるものがあるためか、大変人気が高かったようです。また、書と写真を組み合わせた作品も展示されていましたが、こうした独創的な組み合わせの作品の数々は、現地の芸術家たちにとっても、いい刺激を与えたことでしょう。

 

 このような形で、東洋と西洋のが同時に展示されることは世界でも例がありませんが、もちろんこうしたユニークな企画をされたのは、他でもない、半田晴久(深見東州)本人であります。

 

 半田晴久(深見東州)さんが一通り作品を見て回ったあと、表彰式が行われ、上位3位の人たちに賞が与えられました。そしてその後は、半田晴久(深見東州)の英語スピーチ。「私は生涯芸術を追求する阿弥として、この人生を全うしたい」という内容のお話に、その場に集っていた芸術家達は何度もうなずき、大変感動していたのです。皆、後で口々にそのスピーチをほめていました。また、主催者のオーストラリア・カリグラフィーギルド協会の会長が、「彼がこんなに英語が上手な方だとは思ってもみなかった。内容のある、感動的なスピーチだった」と感心していました。

 

西オーストラリア交響楽団 半田晴久の楽曲録音

 西オーストラリア交響楽団は、西オーストラリアで最も権威のある州立のオーケストラですが、このたび、この楽団の演奏によって、深見東州先生の音楽作品が世界発売用に録音されました

 

 半田晴久(深見東州)さんがその録音スタジオを訪れると、交響楽団のメンバー全員が揃って半田さんを迎え、特別に深見東州先生の一行だけのために作品を4曲演奏して下さいました。

 

 素晴らしいハーモニーを伴いながら奏でられる「ムー大陸」、そして「鳴門海峡にて」。どちらの曲も深見東州先生が作曲された美しい旋律が最大限に生かされ、聴いているだけで、何とも言えない幸福感が胸にみなぎるのでした。

 

 その後のレセプションの席で、半田晴久(深見東州)が楽団の何人かのメンバーとお話しされたところ、どの人も半田晴久(深見東州)の作品を絶賛。特に「鳴門海峡にて」は人気が高く、ある打楽器奏者は、「あの躍動感が堪らない!」とかなり興奮気味でした。

 

 

カーティン大学スカラシップ(奨学金制度)選考面接

 西オーストラリア州立カーティン工科大学にて行われているセイザン・フカミ・スカラシップ(奨学金制度)。これは、日本語を学ぶ若い人たちに日本の歴史や文化、伝統を正しく学んでもらおうという趣旨に基づいて、オーストラリアの学生に奨学金を与えるという制度です。1990年より毎年数名の奨学生が選ばれ、日本へ来て実施研修を行ってきました。そのセイザン・フカミ・スカラシップも1999年で丸10年。今年も例年のように、半田晴久(深見東州)さんは面接官として、奨学生選考の面接に参加されました。

 

 今回のパースでは、この他にも、半田晴久(深見東州)さんはオーストラリアン・ブラインド・ゴルフ・チャンピオンシップ表彰式に参加されたり、オーストラリアの会社の取締役員とのミーティングが続いたりというように、息をつく暇もないほど忙しいスケジュールを次々とこなされました。

半田晴久深見東州スカラシップ

 ところで半田晴久(深見東州)さんは、1999年10月6日に行われたローマ法王への奉納演奏の写真を、現地のスタッフやレセプション会場で会った人たちに見せていらしたのですが、どの人も、「本当に信じられない! 素晴らしい!」と口を揃えて驚いていました。ヴァチカンにパースから行って同行したあるスタッフなどは、「このことは一生涯忘れないだろう……。それにしてもミスター半田のやることは、半端じゃない」とかなり感慨深げに語っていました。

 

 世界中のどんな人と接しても常に人を驚かせ、そして単に驚かせるだけでなく、いつでも深い感動や喜びを与え続けていらっしゃる半田晴久(深見東州)さん。そうした真の国際人として、世界中で活躍されている先生の姿を見るたびに、口先だけでない、半田晴久(深見東州)さんは本当に日本の誇りであり、私たちの誇りなんだと実感します。そして、それらを通して本当の生きた教えを頂いている私たちは、何と恵まれているのだろうかと深い感慨を覚えずにはいられません。

 

 

By 夢野洋子 Handa(Fukami)Fan