進撃の阪神巨人演歌コンサート

※仮面ライダーに変身する役者ではありません。

2014年11月20日 スポーツ報知

渋谷公会堂で「進撃の阪神巨人演歌コンサート」

演歌とオペラの最強”兄弟”が大暴れ

2014年11月21日 デイリースポーツ

奇跡コラボ”演歌のTG戦”に音楽の殿堂が燃えた!!

進撃の阪神巨人 演歌コンサート

 「進撃の阪神巨人 演歌コンサート」が14日、東京・渋谷公会堂で行われ、2000人を超す超満員の観客が絶叫するなか、大盛況で幕を閉じた。今コンサートは「一般財団法人 東京芸術財団」の会長・深見東州(半田晴久)氏が、プロデュースと司会も務め、〝演歌の超大型巨人〟小林旭との〝東州演歌2人組〟でヒット曲を歌いまくるチャリティーコンサート。小林旭の澄んだ高音と深見東州氏の張りのあるバリトンが、会場に響き渡った。甲子園球場名物ジェット風船の飛び交った〝奇跡のコラボ〟に、音楽の殿堂が燃えに燃えた。

 

 演歌はやはり日本人の心だ。伝統ある渋谷公会堂に、〝アキラ節〟と呼ばれる、あの澄んだ高音が響き渡る。その声と深見氏の魅力的なバリトンが、絶妙に絡み合っていく。

 3曲歌われたアンコールのラスト、「熱き心に」。ワンフレーズ、ワンフレーズが観客の体に、そして心に染み込んでいく。歌は世につれ、世は歌につれ。二人の奇跡ともいえるコラボに、古きよき時代がフィードバックする。

 マイトガイと呼ばれ、芸能界のトップに君臨してきた小林旭と、小林を「人間としても演歌歌手としても、そしてゴルファーとしても僕の兄」と慕う深見氏。親密な関係に加え、お互いに、歌手としての実力を認め合っているからこそ生まれたハーモニーに、誰もがステージにくぎ付けとなった。

 「第1部」では、最初からサクソホンがむせび泣き、トランペットがすすり泣いた。銀色の着物姿で登場した深見氏は「人件費を省くために、私が司会もします。これから3曲は雪とか氷とかの歌なので、この色にしました。雰囲気が変わるたびに、着物が変わります」。お得意のジョーク交じりのあいさつ後、歌い始めたが、その歌声がステージに雪を降らせ、身も心も凍りつくような情景を出現させた。

 オープニングの「北の宿から」では女心の未練を歌い、3曲目となる「津軽海峡・冬景色」では、雪が降りしきる、青函連絡船の上に、たたずむ悲しい女の姿を歌い上げた。さらに、オレンジ色の着物に着替えた後は、「カスバの女」や沢たまき、ちあきなおみ、そしてあの石原裕次郎も切なく歌い上げた、「ベッドで煙草を吸わないで」の歌詞に情感を込めた。

 さらに、黒袖で赤色の着物姿で歌った、「第1回日本レコード大賞」曲「黒い花びら」では本家・水原弘のお株を奪うムーディーな歌声、圧倒的な声量で魅了した。また、「伊勢佐木町ブルース」では、深見氏の合図で場内に、あの青江三奈のようなため息、吐息が充満する光景も演出した。

 「きょうはすべてナイトクラブコーナーです」。深見はそう笑わせたが、オリジナル曲「こころ」「福岡帰行」では甘い、甘い歌声を披露し、「星降る街角」「空に太陽がある限り」の2曲でコーナーを締めた。ラスト曲後には今や「進撃コンサート」のお約束になったジェット風船も舞った。

 第2部はマイトガイ・小林旭のオンステージだった。懐かしい「自動車ショー歌」でスタートしたメドレーは、マイトガイの由来となった「ダイナマイトが百五十屯」まで、全9曲を歌いまくった。その後、「ダイナマイト~がヒットして、俺がマイトガイになった。石原裕次郎がタフガイ、二谷英明がダンプガイ、そして宍戸錠さんはうまいね。日活のお偉いさんを前に『じゃ、俺はモンダイガイ(問題外)か』って。笑ったね」とトークも全開。かつて「日活ダイヤモンドライン」と呼ばれた仲間たちのエピソードを明かし、会場を爆笑の渦に巻き込んだ。

 さらに、独特の高音を響かせ「昔の名前で出ています」「水たまり」「熱き心に」などを熱唱し、アンコールへと突入した。

 日本の心、そして日本人の情愛、情念まで歌い上げた「進撃の阪神巨人 演歌コンサート」。凍(い)てつく寒さの中に浮かぶ日本の原風景…。演歌がある日本に生まれてよかった、と思った。(今野良彦)

2014年11月20日 東京スポーツ

深見東州今度は小林旭と熱唱


2014年11月21日 スポーツニッポン

ヒット曲で観客魅了 「女心を歌わせれば…」とユーモアまじえ熱唱

東京芸術財団主催の「進撃の阪神巨人 演歌コンサート」が14日、東京都渋谷区の渋谷公会堂で開催された。“進撃の阪神”深見東州(63)と演歌の超大型巨人小林旭(76)の“東州演歌2人組”がエイズ撲滅のために行ったチャリティーコンサート。披露されたヒット曲の数々に詰めかけた約2000人の観客は、アイドルのコンサート顔負けのノリを見せ、拍手と歓声が絶え間なく続いた。 

 ド派手な金色のジャケットを着て登場した深見。「人件費を削減するために私が司会を務めます」といきなり笑いを取ってコンサートは始まった。

 第1部は深見のソロ。 天井からミラーボールが降りてくる中、ジャケットを銀色の地に赤富士が描かれた着物にチェンジ。「氷や雪。寒い北国の歌を歌うには銀色じゃなきゃね」と話し、1曲目の都はるみの「北の宿から」へ。演歌だからといって力を入れすぎることもなく、それでも、圧倒的な声量でサックスのむせび泣くような甘い音色にのせて歌い上げると、会場では早くもペンライトが美しく揺れた。 2曲目は森昌子の「哀しみ本線日本海」。切々とした歌い方が観客の心に染み入るようだった。北国の歌のラストを飾ったのは石川さゆりの大ヒット作「津軽海峡・冬景色」。さすがオペラ歌手という貫禄十分の熱唱だった。 

 ここでミラーボールがしまわれ、オレンジの地に月とうさぎが描かれた着物に着替えた深見。「キーを下げると怖い歌、ストーカーの歌になっちゃう」と話しながら、4曲目は再び石川さゆりの「天城越え」へ。1番を歌い終えると大きな拍手が湧き起こり、深見版天城越えの世界に場内は包まれた。そこで「女心を歌わせれば天下三品なんです。謙虚なんです」とすぐ笑いを取るのが深見流だ。 

 5曲目はエト邦枝の「カスバの女」。「ビギンのリズムでシャンソンのように歌います」と悲しい歌を軽く歌い、逆に悲しみを際立たせる見事な歌唱だった。

 6曲目は沢たまきの「ベッドで煙草を吸わないで」。「今はどこでも煙草は吸わないで、ですからね」と言いながらジャズのリズムで歌った。ムードあふれる歌と演奏に観客は魅入られ、一瞬のうちにナイトクラブにいるかのような雰囲気となった。 

 歌い終えると、今度は赤の地に金と黒が染め抜かれた着物に。水原弘の「黒い花びら」を「さすが第1回レコード大賞。いい歌です」と披露。続いて青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」。「冒頭の『ア~ッ、ア~ッ』のため息のパートは皆さんにお任せします」と言うと、観客は照れくさそうに、でも楽しそうに「ア~ッ、ア~ッ」を繰り返してステージと客席が一つになった。 

 9曲目は北島三郎の「函館の女」。「重たく歌った歌が多かったので軽めに」と歌い始めると、会場は手拍子で応え、ここまでで一番の盛り上がりを見せた。 

 次に青い着物に着替え、ともにオリジナル演歌の「こころ」と「福岡帰行」を熱唱。さらに白地に黄色と黒のラインの入った阪神カラーの着物で舟木一夫の「高校三年生」をオペラ風に堂々と。続いて、敏いとうとハッピー&ブルーの「星降る街角」からは観客が総立ちとなってシャンシャンを振りながら踊りだし、まるでアイドルコンサートのようなノリになり大盛り上がり。勢いはラストの、にしきのあきらの「空に太陽がある限り」につながり、深見が「愛してる~」と歌えば客席も「愛してる~」と返すなど、大合唱となり熱いひとときとなった。最後は大歓声の中、銀色の紙テープが華々しく会場を舞い、第1部の幕を閉じた。 

 第2部は“マイトガイ”小林旭のソロ。冒頭、再び「人件費を削減するために」と深見が司会を務めた。2人の出会いは07年。深見がシニアゴルフのトーナメントを初開催した時の記者会見だったという。 

 いよいよ小林が登場。ステージに現れるや、「自動車ショー歌」、「アキラのデカンショ」、「アキラのソーラン節」、「おけさ数え歌」、「アキラのツーレロ節」、「鹿児島おはら節」、「アキラのダンチョネ節」、「アキラのズンドコ節」、「ダイナマイトが百五十屯」などリズムのいい曲目を一気にメドレーで披露。独特の高音を交えた「旭節」のラッシュで観客を圧倒した。最後にダイナマイトのように白煙が背後に上がったが、この爆発音がとても小さく「もっと派手でいいのに。結構ちっちゃかった」と笑わせた。 

 「僕自身は歌が歌えたことがとってもハッピーだったと思う。声の出る間は…」と大ヒット作「昔の名前で出ています」を昔ながらの名調子で。すると「旭さ~ん」の黄色い声が飛んだ。続いて「水たまり」、「あれから」、「夢のかたみに」、「素晴らしき哉人生」の4曲を歌い、ラストは「熱き心に」。76歳とは思えない若く張りのある声で歌い始めると、自然に観客が立ち上がり手拍子を始めた。会場がまさに「熱き心」で満たされた瞬間だった。 

 そして深見が再登場。コンサートはアンコールの時間に。「何度も一緒にゴルフをやって、何回も一緒に歌を歌った。旭さんはお兄さん、自分は弟。兄弟船でいいんじゃないの」と深見が言い、デュオで鳥羽一郎の「兄弟船」を。手拍子にのせて1番を深見、2番を小林が歌い、3番を一緒に歌うと、キャーッという黄色い大歓声が起こった。次に深見が「旭さんが歌うと本当に味がある。自分が歌うとアルコール分が入っているような…」と言う小林の「北帰行」を同じ順番で朗々と歌ってみせた。 

 いよいよ最後の1曲。ここで選んだのは再び「熱き心に」だった。“進撃の阪神”深見東州と“演歌の超大型巨人”小林旭のパワフルなタッグと名曲の合体に会場は燃え上がった。鳴り止まぬ拍手と歓声、指笛の中、ガッチリと手を組み、高々と客席に掲げる2人。その表情には満足感が漂っていた。 


【セットリスト】

第1部・深見東州

1)北の宿から 
2)哀しみ本線日本海 
3)津軽海峡冬景色 
4)天城越え 
5)カスバの女 
6)ベッドで煙草を吸わないで 
7)黒い花びら 
8)伊勢佐木町ブルース 
9)函館の女 
10)こころ 
11)福岡帰行 
12)高校三年生 
13)星降る街角 
14)空に太陽があるかぎり 


第2部・小林旭

1)メドレー
ダイナマイトが百五十屯 
アキラのデカンショ 
アキラのソーラン節 
おけさ数え歌 
鹿児島おはら節 
アキラのダンチョネ節 
アキラのずんどこ節 
自転車ショー歌 
2)昔の名前で出ています 
3)水たまり 
4)あれから 
5)夢のかたみに 
6)素晴らしき哉人生 
7)熱き心に 

アンコール
1)兄弟船 
2)北帰行 
3)熱き心


【深見プロフィール】 

 深見 東州(ふかみ・とうしゅう)本名・半田晴久、1951年、兵庫県西宮市出身。同志社大学経済学部、武蔵野音大特修科卒業後、オーストラリアの大学院でオペラ演技を中心に学ぶ(MA修得)。97年、オペラ「俊寛」でオペラ歌手デビュー、ヴェルディの「リゴレット」やモーツァルトの「フィガロの結婚」などのタイトルロールを演じ好評を博す。13年、2人目の日本人男性として世界三大ホール(ロイヤルアルバート、カーネギー、武道館)を制覇した。芸術文化のほか経済、国際政治、スポーツ振興など多方面で活動中。 


【小林旭プロフィール】 

 小林 旭(こばやし・あきら)1938年(昭13)11月3日、東京都世田谷区出身。76歳。俳優、歌手。明大文学部中退。子役を経て55年第3期日活ニューフェイスに合格し入社。翌年「飢える魂」で本格映画デビュー。以降、「ギターを持った渡り鳥」に始まる「渡り鳥」シリーズ、「銀座旋風児」に始まる「旋風児(マイトガイ)」シリーズなど、130本以上の映画に主演。歌手としては57年に「女を忘れろ」を初レコーディング。次いで「ダイナマイトが百五十屯」が大ヒット。その後も「さすらい」、「北帰行」、「ついて来るかい」、「純子」、「昔の名前で出ています」などヒット作多数。1メートル80、98キロ。血液型AB。 


【東京芸術財団概要】 

 ◆東京芸術財団(会長・半田晴久) 既存の芸術概念にとらわれることなく、独自性の強い自由な発想で新しい芸術文化を創成することを目的に、2012年、東京都一般財団法人として設立された。具体的な活動としては、多くの人が芸術文化に触れる機会を提供するため、芸術性の高い歌劇や演劇会を企画・上演する。また、若い芸術的才能を発見育成し多くの上演機会を設けて、その才能が国際的舞台で評価されるのを支援する。設立以来、財団ではグランドオペラ「ドン・パスクワーレ」の公演や「ローマ法王謁見コンサート」(99年)などグローバルな活動を続ける「アルプス合唱団」の定期演奏会、コンサートや演劇の定期公演などを企画・運営している。  



Quick Japan  vol.117

クリックで拡大

The Japan Times

November 22,2014

クリックで拡大できます。

Enka concert raises money for charity to battle HIV in Africa

The Tokyo Art Foundation held a charity enka concert, featuring performances by its chairman Haruhisa Handa and enka singer Akira Kobayashi in Tokyo on Nov. 14.

Enka is a genre of Japanese music mixing traditional and modern tastes. Its distinct characteristic is a “kobushi,” or undulating, tone.

All proceeds from the concert, “Hanshin Storm Enka Concert,” will be donated to the Lesotho-based charity Sentebale, which promotes efforts to eradicate AIDS.

At the beginning of the concert, Handa, who also goes by Toshu Fukami, gave his customary greeting to the audience at the Shibuya Public Hall in Tokyo’s Shibuya Ward, saying, “I’ll emcee tonight to save on labor costs.”

Handa sang 14 enka songs, including two of his original songs, while changing costume five times.

His repertoire included the prize-winning “Kita no Yadokara” (Cry from the North), first sung by Harumi Miyako in 1975, and “Tsugaru Kaikyo Fuyugeshiki” (Winter Scenery of the Tsugaru Strait), first performed by Sayuri Ishikawa in 1977.

Others included 1981′s “Kanashimi Honsen Nihonkai” (Sorrowful Line by Japan Sea) by Masako Mori, 1986′s “Amagigoe” (Crossing Mt. Amagi) by Sayuri Ishikawa, “Kasuba no Onna” (Casbah Woman) from 1955, “Bed de Tabako wo Suwanaide” (Don’t Smoke in Bed) from 1966, “Koukou Sannensei” (Third-Year High School Student) from 1963, “Kuroi Hanabira” (Black Petals) from 1959, “Isezakicho Blues” (Bourbon Street Blues) from 1968, “Hakodate no Hito” (Lady of Hakodate) from 1965, Hoshi Furu Machikado” (Shooting Stars) from 1972 and 1971′s “Sora ni Taiyo ga Arukagiri” (As Long as the Sun Shines in the Sky).

The two original songs were “Kokoro” (Heart) and “Fukuoka Kikou” (Return to Fukuoka).

In introducing “Amagigoe,” he said, “This is a very scary stalker’s song,” making fun of a line in the lyrics; “May I kill you if someone else has you?”

Enka giant Kobayashi, an old friend of Handa’s, performed the second half of the show.

He opened his 15-song set with a medley of nine hit songs, including 1958′s “Dynamite ga 150 Ton” (150 Tons of Dynamite), the song that earned him the nickname, “Might Guy.”

Before breaking into his biggest hit, the 1975 “Mukashi no Namae de Deteimasu” (I’m Going by My Old Name),” he said, “The reason I’m still singing is because this song was such a huge hit.”

Other songs included “Subarashiki kana Jinsei” (It’s a Wonderful Life) from 2013 and 1985′s “Atsuki Kokoro ni” (Fire in My Heart).

For an encore, Handa and Kobayashi teamed up to sing 1982′s “Kyodai Bune” (Brother Ship) by Ichiro Toba, 1961′s “Hokkikou (Return to North)” by Kobayashi and “Atsuki Kokoro ni.”

Among the many master’s and doctorates held by Handa in both music and non-music disciplines, is a master’s degree with a concentration in operatic performance at the Western Australian Academy of Performing Arts at Edith Cowan University, Western Australia. He is also a professor of vocal music at Japan’s Ariake College of Education and the Arts.

Kobayashi began his showbiz career in movies, playing the lead in more than 130 films since his debut in 1956. He broke into the music business in 1957 and found early success with “Dynamite ga 150 Ton.” His fame was cemented with “Mukashi no Namae de Deteimasu,” which is still regularly sung in karaoke by loyal fans.

The proceeds from the gate will be spent on various Sentebale programs. The charity was founded in 2006 in Lesotho, a country in Southern Africa that has only 1.8 million people, but has the world’s third highest percentage of HIV carriers. In the impoverished nation, a third of the children are orphans and the average life expectancy is only 48 years.

Handa is involved in various charity events via Worldwide Support for Development, a nonprofit organization he is the chairman of that is committed to assisting disadvantaged people and communities throughout the world.

The Tokyo Art Foundation (TAF) was founded in February 2011 to promote various forms of music and other entertainment. It holds rock, enka, opera and other types of concerts as well as plays across Japan.

Recently, TAF staged an opera concert, “Blazing Autumn People’s Concert,” on Oct. 6 with Hiroko Onuki, a Japanese soprano and John Longmuir, a Scottish tenor. On Sept. 26, TAF held a rock concert, “Shingekino Hanshin Kyojin Rock Concert,” with former Toto frontman Bobby Kimball, Starship vocalist Mickey Thomas, former Journey singer Steve Augeri and former Deep Purple vocalist Joe Lynn Turner at Nippon Budokan in Tokyo.

Handa is also the chairman of a similar organization, the International Foundation for Arts and Culture, or IFAC, which promotes social welfare activities through free music and art events. Since its foundation in 1996, IFAC has enjoyed the support of many people, including Honorary Chairman Shizuka Kamei, who has held many government ministerial posts.